幸我のぼっちブログ

書きたいことを書きます

世間と自分のズレを修整しない

とある夏アニメの話ですが、Twitterの自分のTL上では大好評。しかし、自分の中ではわりとその評価に疑問があり、某掲示板を見てみると真逆の評価。

「結局は主観的な評価でしかない。」と言って売り上げやらニコ動の再生数などの数字、つまりは客観的な評価を見るのもいいのかもしれない。しかし、それを見て自分の中の評価に関して特に中身に触れずにアニメの評価だだけを良い悪いだけで決めつけてしまうのは思考停止と言えるだろう。


というわけで、自分のアニメをどんな風にみているのかということについて考えることにした。
筋肉バカがスピード野郎を見て、ひょろいガリガリだから雑魚、と評価するように、各人重視するポイントが違うからだ。

一応書いておくが、アニメを評価するためにアニメを見ているわけではない。しかしアニメを見終わったあとに、面白かっただとかつまらなかっただとか俺には合わないだとか、ちょっとした感想という名の評価をしているのは当然であろう。


では、本題に入ろう。

まず、好きなキャラを探している気がする。
正直、自分の好きなキャラが中心に物語が進んでいくのはとても心地よいのだ。
夏アニメでいうならば、六花の勇者のアドレット、フレミー、ハンス。ダンデライオンの茜、岬、遥。

逆に嫌いなキャラが物語の中心にいるのはわりと苦手だ。少なくとも好きなキャラがほとんど物語に関わらずに嫌いなキャラメインの話が続く状況がつらい。


では、キャラを好きになる、または嫌いになる条件とはなんだろうか。

好きなキャラに共通点はあまりない。あるときはロリキャラを好きになり、あるときは頭がイカれてるキャラを好きになり、あるときは生徒会長キャラを好きになる。わりと守備範囲は広いと自負している。

では、逆に嫌いになるキャラはと言うと、Twitterとかで持ち上げられてるキャラは嫌いになりやすい傾向にある。人気があるキャラは好きになれない、と言っても問題ないくらいの精度はあると言える。
例えば艦これで言うなら榛名、加賀、赤城、金剛あたりは好きになれていない。ちなみに好きなのは比叡、浜風、加古だ。
もちろん他にも嫌いになる要素はあるが、ここの問題には直接関わらないため省くことにする。

あと、どうでもいいキャラに関してはわりと公平に見ることができる。例えばアクエリオンロゴスの努虫に関して言えば、最初はどうでもよかったが、メイン回が来て好きになった。


ここまで丁寧に読んでくれた方ならわかるだろうが、俺はひねくれた性格をしている。
そして、オチもなんとなくわかるであろう。


最後らへんで嫌いなキャラがメインの話が続いて、好きなキャラはそっちのけという状況になっている。
というオチなわけだ。

ここから先はそのアニメが完全にわかってしまうため、明言は避ける。

どうでもいいキャラと嫌いなキャラがなんか感動的な話をしている、それを絶賛するやつらがいる。
ひねくれオタクがそれを嫌いになるには十分すぎる条件だと言えるだろう。


ここまで書いて気づいたけど、同じ状況のアニメが2つある。どちらも同じ理由で嫌いになっている気がする。


最後に残しておくが、別にこのズレを修整するつもりはない。それこそ個人の好みなんて周りの空気読む必要なんてないわけだし、そこは自分を信じていく。自分が推したいアニメを推していく。もちろん嫌いだからと言って、他人の推しているアニメを嫌いだとわざわざいう必要もないだろう。



情報遮断してアニメを見たほうが幸せなんだろうか、なんてことを思ったりする